孤高の勉強ノート『チャスポット』

日々勉強したことを纏めています

肉食も菜食も、結局は同じなのか?

投稿: 2017.10.22

肉食と菜食とについて考えます。議論の多いテーマですが、ここでは私がまとめた考えを述べさせていただきます。読者様の疑問解決の糸口になればと思い、私の意見を記します。

質問 

「肉食者も菜食者も、結局は同じでしょ?」

一般の方からベジタリアンやヴィーガンの人たちに向けて、よくこういう質問が寄せられます。私はヴィーガンですが、職場や友達から同様の質問を投げかけられます。この質問に対して、現時点での私の結論を申し上げます。

回答 

「命を奪うという点では 『菜食者は肉食者と同じことをしている』」

という回答です。しかしながら、この回答を理解するにはいくつか知ってもらいたいことがありますので、以下に私見を述べさせていただきます。

知っておきたい!肉食と菜食との差異

 「命を奪うという点では『菜食者は肉食者と同じ』」という回答をしましたが、しかし両者の間には大きな認識の差異があるということについて説明しておかなければなりません。それは動物を殺(あや)めるときと植物の刈り入れをするとでは、憐れみの情に関して差異が生まれているという点です。

人間に近い感情をもつ動物を殺めるのには、誰もが心理的な抵抗を感じるものです。屠殺(とさつ)場に勤務する方の中には、「蚊一匹殺すことはできない」という方がいます。人間と同じ動きのある生き物ですから。しかし、作物の刈り入れでは、『収穫の喜び』という表現がある通り、人間としての基本的な営みとしての労働生産活動の産物としての「収穫」という作業が普遍的に広まっていることから、喜ぶべきもので、実際自分が稲の刈り入れをしても、動物を殺めるときの感情とは大きく隔たりがあることが実感できます

また、植物は鳥や小動物が生きていくうえで食する対象であり、それは小さな子供がみてもごくごく自然な生命活動の営みであるということです。ですから、本来植物を食べるだけで己の生存を全うできる人間が、同じ植物を食べる豚や牛や鶏を殺める必要性はほとんどないのだということがいえるのです。動物を食する行為は、極論、人間の贅沢でしかないとも言えるです。

※ただし作物を荒らすイノシシなんかは、農作物を荒らす以上、やむを得ず罠を仕掛けて命を奪うという行為は、農作物の甚大なる被害を防止する上でやむをえない行為として捉えるとして、ここでは議論しないこととします。

Slaughterhouse.jpg

死を覚悟して狭い通路を歩く。 By Dr. Temple Grandin, Attribution

Amerikanische Großschlächterei, um 1903.jpg

屠殺場の全工程。動物たちは生きたまま吊るされ、動脈を切られ皮を剥がれ、裁断され、最終的に商品としての『肉』としてスーパーに並ぶ。 Public Domain, Link

これらのことから肉食者とヴィーガン、ベジタリアンの菜食者との間にはある幅の隔たりがあることがご承知いただけると思います。

でも、植物も生きている!

しかし、植物とて命があります。科学的な説明をすると、刈り取りされる直前の植物の葉に流れる微小電流が異常値を示すという研究発表があるのです。これは植物も自らの生命の危機を感じているということを示しています。

「奇跡のリンゴ」で有名な青森県の木村秋則さんは 「りんごの果汁は人間でいう血液と同じなんです」 とおっしゃっています。植物が刃物で刈り取られたり、葉がちぎられたり、根っこから引き抜かれたりする瞬間、まるで恐怖をあらわしているかのような鋭い波形が電流計に計測されます。これは、植物が私たちと同じように自分の命を自分で守ろうとする生き物としての感情をもっていることを示しています。私たちが恐怖を感じるように、命を刈り取られる寸前の植物たちにも、恐怖の感情があるのです

以上の内容を知ってはじめて、「肉食者と菜食者との区別はできない。命を奪う点で同じだ」という回答ができるのです。6年近く動物の肉を口にしていない私も、いまはこの心境に達しており、ヴィーガンを標榜しようとも、植物の大切な命を奪っている以上、肉食者と変わらない命の価値観であるという気持ちになっています。これは正直な私の感想です。


<まとめ>
動物や植物の「命を奪う」という点において肉食者と菜食者とは区別できない。しかし、動物を殺めてまで人間が生きることについては疑問が残る。


 

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